遠州まほろばの会

日航機事故から34年 その2

御巣鷹山への災害派遣の現場について振り返ってみます。
私が現場へ向かったのは、第3次派遣隊での司令部派遣幕僚として同行した時でした。1次隊は静浜基地の第11飛行教育団、2次隊は浜松基地の第1航空団、そして第3次隊は両部隊の混成でへ編成されました。
ちなみに、宿営地の川上小学校に到着以降は入間基地から展開した中部警戒管制団の指揮下に入り(指揮官は中警団副司令)、現場の行動は陸自部隊指揮官の統制下に入るという指揮系統が作られていました。

今回紹介したいのは、”今どきの若者”についてです。

現場の捜索・救助隊の行動は、朝3時過ぎに起床、洗顔・排便等を済ませ、取りあえず何か温かいものを腹に入れろということで、味噌汁かコーヒーが用意されていました。さっさとお腹に入れて、朝飯用のおにぎりと昼飯用の缶飯(又はレトルトカレー)を受け取り、4時にはトラックに乗り込み出発です。
車で30分ほど走って、峠の途中から山道に入り込みます。私が行ったのは事故から1週間余り経過しており、最初は7時間近くかかった登山道もこのころは4時間弱で現場に到着しました。

エピソード その1
宿営地と現場とは、尾根を3つ超えた距離にあり、当時装備していた無線機では電波が届きません。それで、各尾根の頂上に無線中継用に隊員を残して先に進んで行きました。帰路に彼らを合流させながら帰るのですが、ある隊員は真っ青な顔をしてブルブル震えていました。真夏に汗びっしょりかいて山を登った訳ですが、山頂でじっとしているとさすが山頂だけに体が冷えて風邪をひいてしまったようです。辛そうにしているので、仲間が「無線機を持ってやる」と申し出たのですが、「皆は山道を大変な思いをして歩いてきた。俺はじっとしていただけで疲れていないし、無線は俺の任務だから、これを下ろすわけにはゆかない」と言い張り、結局当該隊員を両脇から支えて山を下りました。無線機を下ろしてくれた方が運びやすいのですが、彼の真剣な物言いに彼の要望どうりにしていました。”今どき火口小平みたいな奴がいるな”と思いつつ見ていましたが、使命感というか自分の道を見つけた今どきの若者もなかなかなものだと感心しました。

エピソード その2
宿営地の給食担当者の一日。朝2時前から起きだして、握り飯を人数分作るとともに缶飯等携行食を温め、味噌汁等飲物を準備して捜索救助隊を送り出す。その後片付けを終えると、前日現場へ行った隊員(疲労が酷いため連日の活動は無理で、隔日で現場へ向かった)用の朝飯を準備・提供する。これの後片付けが終わると、ちょっと休んで昼食の準備・提供をし、夕方早めに夕食を準備提供する。夜6時前後に現場から隊員が帰ってくるが、まず風呂に入らせて8時ころから夕食を提供する。これの後始末や翌日の準備を終わるのは10時を優に過ぎており、彼らはいつ寝ているのかと心配になるほどであった。それを確か5、6人でこなしていました。
ところが、その給食担当者が指揮官に直訴している光景に出くわした。「自分たちは捜索救助のために来たのです。お願いですから一人ずつで良いので、給食担当も現場へ連れて行ってください。食事の準備には絶対に抜けは起こしませんから・・!」。指揮官は、「それでなくても給食担当の負担は大きいから・・・」等諫めるようにも言っておられましたが、頑として食い下がっていました。

良く「今どきの若い奴らは・・・」などと言う御仁がおられますが、きちんと使命や目標を見据えた若者の活力には凄いものがあります。
私はこの御巣鷹山災害派遣以降、”今どきの若い奴は”と言ったことがありません。逆に、若者をきちんと導けない、若者に己の存在意義を感じさせることができない”今どきの古い奴ら”のふがいなさを強調しています。
今の若者たちは充分に信頼するに足る存在です。それがしっかりと力を発揮できる場を作るのが古い奴らの仕事のはずで、愚痴っている暇はないはずです。




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