遠州まほろばの会

日航機事故から34年 その3

今回は、隊員の心情というか、隊員の状況について感じたことを書いてみます。

阪神淡路大震災、3.11東北大震災における自衛隊の災害派遣で、国民の自衛隊に対する眼差しは確実に変わってきています。しかしながら、御巣鷹山事故の当初は必ずしもそんな状況ではなく、特に朝日を筆頭にマスコミの対応は酷い物でした。
日航機の飛行ルートの傍に、”富士レンジ”と呼称する射爆撃場があります。陸自が射撃訓練する際に、ある高度以下への航空機の侵入を制限するものですが、朝日TVでは航空専門家と称する男が「自衛隊のミサイルが誤って撃墜した」と得々と解説していました。また救助活動の遅れから助けられた命も助けられなかったと、ほぼ全局が自衛隊非難の論調で報道していました。それに対して防衛庁(当時)は、「ミサイル発射の事実はない」と釈明するだけで、無茶な報道に対して抗議することすらしませんでした。
そんな折、空幕広報室長であった、現在軍事評論家として活躍されている佐藤守氏が「いわれのない非難に抗す」(正確でないかもしれません)と、新聞紙上に抗議の文を発表されました。恐らく自衛官(自衛隊と言いたいが、個人の責任で発表されている)がマスコミに逆らった初めての事例ではないかと思います。

この広報室長の抗議で、現場宿営地の雰囲気はガラッと変わったと言います。早朝からの行動で疲れ切って帰って来たのに、遅い夕食をとりながら見るTVニュースは自衛隊を非難するものばかり。皆黙って食べて、黙って寝床に行ってと、まるでお通夜のようだったと言います。ところがこの抗議を境に、雰囲気はガラッと変わったといます。きついけど国民のために働いてきたと、充実感が高まり、すっかり明るいムードになりました。私自身、現場から帰った夜は差し入れのビールを買って、トラックの荷台での茶話会に参加させて貰いました。(ベッドを並べた体育館は翌日出発する隊員が眠っているので、邪魔しない様、周辺の住民にも迷惑をかけないように駐車場のトラックの荷台で飲んでいました。)ちなみに、村に唯一の酒屋さんは、年間の売り上げ相当を1週間で稼いだと噂になっていました。

地震災害の時もそうそうですが、国民の期待、信頼、感謝の気持ちを肌で感じるとき、隊員は否が応でも奮い立ちます。むしろ手綱をしっかり締めないと、やり過ぎて怪我をしたり病気になったりします。
御巣鷹の現場へ向かう途中、SAでの休憩中に、見知らぬ人から缶ジュース2箱を頂いたと隊員が運んできました。出発に際して指揮官がこれを紹介し、「多くの国民が皆の頑張りを期待を持ってみておられる」と訓示されました。途端に隊員の目つきが変わったように感じました。

隊員の処遇に関してですが、警察、消防、消防団の皆さんには”出動手当”が支給されます。当時で、3,000~5,000円だと聞きました。そして、昼食は折り詰め弁当がヘリコプターで運ばれてきていました。一方、自衛官には当時出動手当のようなものはなく、昼食も尾根を3つ超える山道を缶飯を自分で運んで行きました。余りに差が大きいということで、”災害派遣手当”というものが新設され、確か320円か370円/日が支給されるようになりました。私も後付けで4日分頂きましたが、往復の移動日は対象でなく現地にいた日数だけでした。




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