遠州まほろばの会

日航機事故から34年 その4

今回は宿営地での状況・体験をお話ししたい。

初回に書いた事情により、空自部隊は陸自等の上野村ではなく川上村に設けざるを得なかった。幸い夏休み時期であったことから、川上小学校の体育館・校庭・保健室及び校長室を提供して貰えることとなった。
後で聞いたことであるが、川上村は自衛隊員募集担当者が入り込めないと言われていた地域だったらしい。別に反自衛隊感情が強いという訳ではないでしょうが、関心がないというか、全く実績が見込めない地域であったらしい。しかしながら、川上村には本当に良くして貰いました。先の小学校の使用もそうですが、村営の入浴施設がありましたが、その使用は村人は午後3時まででその後は自衛隊専用としてくれました。空自にはキャンバス製の野戦風呂(3.11で活躍しました)は持っておりませんので、これは本当に助かりました。現場から戻った隊員をまず入浴させ、さっぱりしたところで夕食を取らせることが出来、疲労回復効果は大きなものがあったと思います。

もう一つ、空自隊員のとんでもない弱点が露呈しました。
川上小学校は、確か教師・児童併せて100名に満たない学校だったと思います。そこに大の大人が3~400名寝泊まりした訳で、大きな問題が発生しました。
ここで問題です。空自宿営地には当然医官も派遣されていましたが、最も多く処方されたのは何の薬でしょう?
小さな学校で、日中の使用のみを想定して浄水施設が設定されていたため、上に書いた多人数の使用により1週間を待たずに浄水処理能力を超えてしまい、学校から使用中止を要請されました。これはとんでもない大問題なんですが、学校の裏の農家が、すぐに学校に面した畑のレタスを収穫してその場所を提供してくれることになりました。ユンボで溝を掘り、そこに板を渡し、更に枠を組んでむしろを張って個室化を図っていました。(米軍基地のトイレでは、側面の壁がないものが結構見受けられましたが、日本人にはこれは受け入れ難く、ムシロで仕切りをしていました。)要するに、ポットン便所を作った訳です。
近代的な隊舎でトイレは勿論水洗トイレで生活している隊員、ましてや若い隊員は生まれて以来ズット水洗で生活しており、これにはすぐには適応できなかった。
そこで先の問題の答えは”便秘薬”、薬の助けを借りて無理やり押し出そうとした訳です。そんな状況を見て、「こいつらには戦はできねーな!」とつくづく思いました。
この経験以降、防災訓練、特に避難所開設訓練ではトイレ問題を軽く考えないで欲しいと主張しています。水洗どころかシャワートイレが当たり前で生活している人にとって、ライフラインが途絶状況でどう過ごすかという時、水と一緒にトイレ問題は非常に重要です。3.11の初期の報道で、気仙沼大島の状況について放映されていましたが(レジ袋の中に用を足し、その袋が避難所の脇にうず高く積みあがっていた。)、これは決して軽んじてはならない情報だと思います。

川上村の皆さんには本当にお世話になりました。私がいた当時、現場指揮官が小学校の先生・生徒さんを招待して”カレー・パーティ”を催しましたが、子供達が喜んで食べてくれた光景を思い出します。現場から帰る時に、自宅や職場へのお土産に名産のレタスを沢山買って帰りました。




コメントをどうぞ

入力いただいたメールアドレスは公開されません。
個人情報などを記入された場合、投稿いただいたコメントの該当箇所を編集して公開するか、もしくは非公開にします。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。


 

同ジャンル・関連ページ