遠州まほろばの会

豪雪の想い出

石川・福井県方面等の豪雪で、生活に支障を来し、又は渋滞で動きが取れなくなった皆様にはお見舞い申し上げます。

団塊の世代で富山県に育った私としては、積雪量でみる限り大雪ではあっても豪雪という程には思えないのですが、車社会や流通の発達の裏で自然災害には弱くなっているなぁと感じています。

 
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 年末年始休暇で、1歳半ほどの長男、妊娠7か月の家内共々帰省しておりました。自宅に帰る際、大雪ではありましたが(富山市で1.5mくらいだったかな?)鉄道は動いており、今はない信越線経由の特急に乗車しました。

ところが信越線黒姫駅で止まってしまい、数時間待たされたあと国鉄の結論は、特急3本と急行1本の乗客(それも休暇明けでどれも100%以上の乗車率!)を特急1本にまとめて、それを上越線回りで運行するというものでした。

とてもじゃないけど女房・子供をそんな殺人的な状況に置く訳に行かず、金沢に戻るという列車に残して私の実家に戻るよう指示しました。私は翌日の仕事(それも緊急発進待機(アラート)の上番)があり何が何でも帰らなければという感じでした。

 実家に戻った家内が帰ってきたのは、それから1ヶ月以上経ってからでした、ジージとバーバが離さなかったので・・・・。

 
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 この時は高校受験を控えた時で、富山市内でも2mを超える積雪がありました。 私の実家も、屋根から落とした雪が庇よりも高くなり、1階はカマクラ状態でした(暗くて寒い)。でも、コタツと練炭火鉢、豆炭アンカ程度の暖房器具で乗り切りました。

 私の実家の傍を通る旧国道41号線は、道の両側の家の屋根から落とす雪で、すぐに車は通れなくなりました。今のような除雪機材もなく、雪を踏み固めてできた通路は両側の家の庇よりも高かった。2階から出入りということはありませんでしたが、通路から玄関まで雪の階段を上り下りしていました。

 生鮮食品は瞬く間に、その他食品もしばらくしてお店から姿を消しました。でもそんなに困ったという感じではありませんでした。もともと食生活が昨今よりずいぶん質素だったのと、冬に入る前に大根100本、白菜1樽を漬け込んでおり、米・味噌・醤油や乾物はしっかりため込んでありました。更に、庭で大根などを栽培しており、2mの雪をかき分けて掘り出して食べました、これがうまかった!

 鉄道も止まってしまい、自衛隊が救援に来てくれました(その頃”災害派遣”という呼称があったかな?)。その頃富山県には自衛隊の駐屯地がなく、自衛官を目にすることもなく、一般市民はどう対応して良いか分からず「何なんだろう」という感じだったと思います。

 その時地元の北日本新聞にこんな記事が載りました。曰く、「自衛隊の皆さんが、県民の生活のために一生懸命働いて下さっている。なのに、付近の住民たちはお茶1杯出そうとしない、これで良いのか。富山県民として恥ずかしくないか?」と。この記事を受けて、沿線町内会の婦人会等がお茶等の接待を始めたと報道でみました。

 この体験から、県を挙げて自衛隊の誘致運動が起こり、砺波に施設大隊(もっと小さかったかな)が駐屯するようになったと記憶しています。

 ついでにどうでも良いことですが、TVで屋根の雪下ろしの画が出ることがありますが、多くは間違っています。屋根の雪下ろしでは、瓦等の地肌が見えるまで落としてはいけません。滑って落ちてしまいます。必ず、踏んだ状態で5~10cmは残さなければ危険です。雪国では常識だと思いますが・・・・・。




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