遠州まほろばの会

教育勅語、父の守りたかったもの

明日の敗戦の日に書き込もうと思っていましたが、多分明日は込み合うと思われますので今日にしました。

写真の箱と巻物、「何でも鑑定団」に出すようなものではありませんが、敗戦前に学校で校長先生が恭しく読み上げていた「教育勅語」そのもです。

ただし、残念ながら痛んできたためもあり、勅語は掛け軸にして別に保管しており、代わりに巻物には父が書いた勅語を貼り付けています。

何故、私がこのようなものを持っているのか。

敗戦時、父は故郷の教育委員会で指導主事(当時の役職名は異なるかもしれません)をしておりましたが、GHQの命令による勅語の回収を上司から指示されました。

命に従い回収したものの、その後の処置について教育長からは何も指示がなかったそうです。

言われなくても廃棄、焼却などで処分しろということだったのでしょうが、さすがに言葉にして指示できず、父も判ってはいても処分できませんでした。

困った父は文部省に返納することとしましたが、送り返された文部省にしても処置方法は一つしかありません。

それで、数本の勅語を自宅に持ち帰り、隠し持ちました。
軍歴のない父が、敗戦後たった一人でGHQに逆らう行動を取ったのです。

昔、母が「こんな恐ろしいことをして・・」と父にこぼす姿が記憶に残っています。

戦後の混乱期に、子供5人を食べさせることで精一杯の母にしてみれば、少なくともパージ(公職追放)を免れ得ないような父の行動は容易に理解することが出来なかったものと思います。

その後、米国の主導による仙台での教育研修(名称は違うかもしれません)にも参加し、私が生まれる少し前に父は田舎の小学校の校長として赴任しました。

以来昭和39年に職を辞するまで、私達兄弟には父と遊んだという記憶がありません。

土日といえども、赴任先校区の村々で、青年団、婦人会、老人会等々と囲炉裏を囲んで、茶をすすりながら、戦後の教育体制について語り合ったそうです。

父兄の一番の関心(心配)は道徳教育だったと父は語っていました。

でも多くの方々は、「私たちの心には教育勅語の精神が残っている」という父の言葉に安堵したそうです。

父が亡くなる数年前、介護のために故郷へ帰ったとき、「勅語発布120年の記念の年、掛け軸にした勅語があるはずだから、床の間に飾ってくれ」と頼まれました。

家中探し回りましたが発見できず、替わりに痛んだ最後の1巻を発見しました。これを父に頼んで貰い受けて持ち帰り、話を聞いて感動した家内の手配で立派な掛け軸に表装して貰いました。

戦前の教育勅語の扱いについて、「意味もわからないのに無理やり記憶させて」などという意見を耳にすることもあります。

でも、茶道のお手前同様、まず覚えて、成長の過程の中でその意味を知り、心の糧とする意味合いもあるはずです。

昨今の世相の中に、教育勅語がしっかり教育されていればと悔やまれる事例も少なくはありません。

最近、教育勅語を見直す運動が方々で広がっているように感じます。

私自身は、最も美しい日本語と捉えており、更に多くの家庭に染み渡ってくれればと願っています。

明日は、市の戦没者追悼・平和祈念式典に、会場整理のバランティアとして参加してまいります。



6 Comments »

  • 私が「教育勅語」を知ったのは去年の秋の話です。
    1月になんとか覚えて、2月に現代語訳を覚えました。
    今では当たり前に自分も唱えることができますが、当初は毎日復唱しながら
    内容のそのありがたさに泣けてしまって仕方がありませんでした。

    当時の方々は意味もわからないままに無理やり覚えさせられたのでしょうか?
    無理やり、などと言う人こそ意味をわかろうともしないのではないのでしょうか。
    Qさんのお父様のように命を賭けても守り通したいほど尊いものであるのに。

    もし今の自分に小さな子がいたら一緒に暗唱しているところですが残念なことに彼らはすでに成人してしまったので、そちらに子供が授かった際にはしっかり教えてあげたいと思います。

    浜松は戦没者追悼・平和祈念式典があるんですね。
    静岡ではどうなんだろう。

  • 教育勅語を初めて知ったのは、2010年頃でした。生まれて初めてのその文章にショックを受けました。昭和9年生まれの母とは同じ日本語を話しているのに、まるで異国の人と話してるように話も心も通じませんでした。両親から舐めるように可愛がられ育った私は学校教育も実を結んだのでしょうか、親から尽くしてもらうのは当然、でも自分は自分の幸せのみ追求する。それが正しい生き方だと信じていましたし、小学校の頃は担任の先生から『もし自分の身に何かあったら家族は見捨てても自分だけは逃げなさい』と言われ、子供心に『そうか、なるほど』と思っていました。もし教育勅語を知っていれば、両親の苦労も半減したのにと後悔しています。

  • ななこさん、まあさん、稲妻屋さん

    コメント有難うございました。

    私は家内や子供達に、それぞれの徳目はそのままの言葉で、その順番どおりであることが大事だと言い続けています。夫婦は仲良くではなく「相和し」でなければならないと、「で、どうするの?」と聞かれたときには困りましたが・・。

    ちなみに、息子は老健で働いていますが、教育勅語をすらすらと暗誦します。が、言葉の意味は全くというほど理解していません。通所されている、世間一般では認知症の部類に入れられているお年寄りに教えて貰ったそうです。
    会話が成り立たないと思われているお年寄りでも、正確に勅語を暗誦できる、昔の教育のすごさを感じずにはおれません。

  • 日本の教育の原点が教育勅語にはあると思います。勉強だけに偏った物ではない、人の心を育てる基本が詰まった教えが教育勅語だと今では理解します。

    私が内容を理解したのは、つい数年前のことでした。

    学校教育に教育勅語の精神が復活したら良いのにと願います。学校教育に期待出来ずとも、地域や家庭の中で普及して行って欲しいと思います。

  • こんにちは。本物の教育勅語ですか!すごいですね。
    初めてインターネットに触れた10年前初めて検索したのが教育勅語でした。
    美しい日本語として子供に暗唱させていました。
    その後、教育勅語の普及実践を呼び掛ける活動をしていた時期があります。
    沢山の戦前教育体験者の方とお話をさせて頂きましたが、皆さん修身の素晴らしさを仰いました。
    最近、多くの人が護国活動に励んでおられますが、勅語をシッカリ心に入れて
    活動なさることが大切ではないかと思っています。

  • green@bambina さん

    コメント有難うございました。
    教育勅語は、人としての有り様、社会の中での人の在り方を示されたものと思っています。多くの人に(全ての日本人に)理解・実践してもらいたいものです。


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