遠州まほろばの会

ある元戦闘機乗りの訃報

空自OBで作っている一斉メールで、ある元パイロットの訃報連絡が届きました。彼の想い出と共に、いろいろと思い出させられます・・・・。

彼(Kさんと呼ぶことにします)は、F-86Fがまだ主力戦闘機であったころ、その技量優秀さからブルーインパルス要員に選抜されていました。

1972年11月4日、入間基地での展示飛行から帰投する際、離陸後まもなくエンジンが停止するトラブルに遭遇しました。いろいろ手順を尽くしてもエンジンは再始動せず、地上への被害を避けるため入間川に機体を落とす決心をし、ぎりぎりまで粘って緊急脱出しました。その時の高度は約400ftだったといいます(規則では1,000ftまでには脱出)。地上に激突寸前にパラシュートが開傘し、大けがをすることもなく助かったのですが、Kさんは集まってきた人達に「怪我はありませんか?」と聞いて回ったそうです。
この彼の行動は、あの朝日新聞ですら称賛し、パイロット達に強い印象を残しました。

あれ?似たような事故が・・・・と思われた方もいらっしゃるでしょうか?

1999年、訓練飛行中にエンジン・トラブルに見舞われたT-33A練習機が、何とか入間基地に帰ろうとしたものの無理と判断し、入間川に機体を落とそうと進路を変えました。ぎりぎりまで粘って粘って緊急脱出したものの、この時は開傘が間に合わず地面に激突し、2名の操縦士が殉職しました。
機体が墜落する際に高圧電線を切断したため、マスコミは当初”自衛隊のせいで30万戸の大停電”と速報していました。が、状況が分かるにつれて殉職した操縦士に視点が移り、バッシングは消えてゆきました。
また、自衛隊OBの国会議員が走り回って、通常は事故で殉職した場合は1階級特別昇任が慣例なのですが、戦死と同じに2階級特進の処置がとられました。

その時思ったのですが、
1 マスコミのバッシングを受けなかった成功事例が、知らないうちに自衛隊パイロットに無理を強いているのではないか?(規則上は、今でも1000ft以上で脱出するよう命じられています。)
2 雫石事故の際、空自パイロットが生還したことに対して、内局(防衛庁)の防衛官僚が「何で死んでくれなかった!」と言ったという話があっという間に伝搬しました。海自の事故に対する防衛省(庁)の対応とも絡めて、ぎりぎりの選択を迫られた場合、「生きて帰れば家族もろともバッシングの嵐にあう(国は知らんふり)」が、「死んだらばそれなりの栄誉を付けてやる」という強いイメージを植え付けるのではないか?

ところでKさんですが、事故後の事情聴取や身体検査などに忙殺され、(携帯電話などない時代ですから)奥さんへの連絡を失念してしまったとのこと。翌日浜松に列車で帰ったのですが、新聞記者らが待ち構えるなか、柱の陰からじっと見つめている奥さんに気づき、「しまった!!」と思ったが既に遅し。以後、航空祭だろうが何だろうが、奥さんの足が自衛隊基地に向かうことは2度となかった、とOBの機関誌に書いておられたのを覚えています。
退職後は夫婦仲良く過ごされたのでしょうか、そうであって欲しいなぁ。




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